西そのぎ商工会役員杯 事業所対抗ボウリング大会 初出場します(∵)
2018年7月25日に
開催される
西そのぎ商工会役員杯
事業所対抗ボウリング大会に
エーシーエススタッフ
参加することになりました(*´ω`)o
全22チーム中
エーシーエスから
2チーム出ます@(●’A’)o/
もう何年もやってないんですが
頑張ります(>∀<)
【 ボウリングの歴史 】
もともとボウリングは倒すピンを
災いや悪魔に見立てて、
それを沢山倒すことが出来たならば、
その災いなどから逃れることが出来るという
一種の宗教儀式であった。
その歴史は古く、
紀元前5000年頃には古代エジプトにおいて
墓から木でできたボールとピンが
発掘されたことから、
その頃からもボウリングに
似たようなものが
あったとされている。
しかし倒すピンの数やそれに応じた並べ方も
場所や地域によってさまざまであった。
それを中世ドイツの宗教革命家として
知られるマルティン・ルターが、
倒すピンを9本にし、
並べ方もひし形にして、
ボウリングの基本的な
ルールを統一した。
これが近代ボウリングの
ルールの原型になっていったと
考えられている
9本という決められた数のピンを倒す
という行為から、
やがて「ナインピンズ・ボウリング
(en:Nine-pin bowling)」
(九柱戯)
という一つのスポーツが派生し、
宗教家の間では人気のあるスポーツとして
栄えた。九柱戯はいまだに
ヨーロッパでは
比較的メジャーな競技で、愛好者も多い。
17世紀になると多数の
宗教家(清教徒)たちが
移住したことで、
アメリカでもボウリングが盛んになった。
しかしナインピン・ボウリングは
西部開拓時代・アメリカで禁酒法下において
酒をめぐる賭け事に利用され禁止になり、
反発した有志がピンを一本足し
テン・ピン・ボウリングにしたことで
法律の「ナインピンボウリングを禁ず。」を
回避していた。それが
現在のスタイルになったと言われている。
【 ボウリングの事始め 】
日本では、幕末(江戸時代末期)のさなかの
文久元年5月15日
(新暦換算:1861年6月22日)、
長崎の大浦居留地(長崎居留地)にて、
日本初のボウリング場
「インターナショナル・ボウリング・
サロン」が開設された。
これを記念して1972年(昭和47年)には
日本ボウリング場協会が
西暦(グレゴリオ暦)の
6月22日を『ボウリングの日』に
制定しており、
その日限定で割引サービスなどを行っている
ボウリング場もある。
なお、幕末の志士・坂本龍馬が
長崎に居留していた
イギリス人貿易商グラバーと
交流があったことから、
後世、日本ボウリング資料館の開館を
報じるボウリングマガジンにおいて、
「龍馬が日本人初のボウリングプレイヤーで
あるかもしれない」
という願望を含んだ記事が掲載されたが、
そのような事実があったという
確たる証拠は無い。
(Wikipediaより)
日本初のボウリング場の石碑が
先日世界遺産に登録された
大浦天主堂下のグラバー通り坂に
あるそうです( 大久保談 )
ボウリング発祥の地は
長崎だったんですね(○´□`)b゚
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